「石の上にも三年」は危険です。それは時代遅れです。
皆さん、[石の上にも三年]と言うことわざをもちろん知っていますよね?この言葉はいろいろな場面で使われることが多いです。
この言葉の意味は、石のように辛い環境にも三年、辛抱して耐えていればいい結果を得られるという意味です。
例として、会社に就職してどんなに辛い環境でも三年耐えれば良いようになる、まさに石の上にも三年といった、このような時に使われます。
さて、ここから私の考える「石の上にも三年」の怖さについて考えていきたいと思います。
「石の上にも三年」と危険性
便利な使い道が多いこの言葉ですが、
実はこのことわざには大きな危険性があります。その危険性とは三年間をドブに捨てる可能性があるということです。
例えばどんなに不条理な環境であっても上司に「石の上にも三年だよ」と言われてしまえば、耐えられない自分を責める思考回路につながってしまいます。
そうして、三年経っても変化を得られなかった場合、「三年を無駄にした」という喪失感が生まれます。
さらに、3年続けたという事実により現状を変化することを拒もうという、保守的思考なが生まれてしまいます。
この保守的思考がやっかいで、ここまでマイナスを重ねてきたのでここでプラスにならないと、このままでは自分は破滅するというギャンブル的な考えに飲まれてしまいます。
人間は、得を捕まえることはできても、損を認めることは難しいからです。
また、三年耐えたところで良い結果を得られるとは限らないというところにも注目すべきであると思います。
そこで私は「石の上にも三年」という言葉を見つめ直す必要があると思っています。
「石の上にも三年」と現代人
私は「石の上にも三年」という思考法が通ったのは昭和まであったと考えています。昭和までの日本では、景気が良く結局は放っておいても半自動的に利益が得られるという構造になっていました。
さらに、多くの人々の中には死ぬ気で働いてやるという、意欲が溢れていました。そのため体力任せ的な仕事の仕方でも、社会全体がうまくいくという流れができていました。
そして、国全体が裕福になりました。
その副作用として、全力で働かなくても生きていけると考える人、手を抜いていきたい人が多く生まれました。
つまり、三年耐えることで自分も良いようになるという考えが、まさしく真実であると考えられるようになりました。
それが、不景気になり今現在では、賢く頭を使って稼ぐ人と、ぎりぎりの生活を日々送る人に分かれました。賢く頭を使って稼ぐ人は、昭和の人と違って三年も待ちませんし、待たせません。
世界全体がグローバル化し、競争相手が世界各国となった現在では、三年はあまりに長すぎるということです。
三年も待っていたら、商売なんてできません。
つまり、現代人は石の上で三年待つのではなく、自分に合った石を手に入れる必要があるというわけです。
まとめ
これまでの社会では、手に入る石を自分が慣れるという考えで動いていました。しかし、これからは良い石を自分で掴むという時代になります。
都合のいいことに、石を探すフィールドはグローバル化によって地球全体が範囲になっています。よって、これからは待つのは危険で、自分から掴みに行くべきであると私は考えました。